V16エンジンを搭載したBRM、復刻版マシンがグッドウッドで走行。甘美なサウンドを響き渡らせる

 

 70年にもわたるF1の歴史の中には、周囲をアッと驚くようなマシンもいくつか存在する。ブラバムのファンカーやティレルの6輪車が、その代表的な例であると言えよう。
 F1の黎明期にも、驚くべきマシンがあった。それが、BRMのタイプ15と呼ばれる車両である。何を隠そう、このマシンには1.5リッターのV16エンジンが搭載されていたのだ。そしてこのマシンとV16エンジンが復刻され、グッドウッドで行なわれた”グッドウッド・リバイバル”で走行を披露した。
 このV16エンジンを搭載したタイプ15は、1947年に開発がスタートした。しかし当時は第二次世界大戦終了直後であり、資材の調達も簡単ではなく、開発は大きく遅れた。
 本来ならば1950年のF1世界選手権の最初の1戦、シルバーストンで開催されたヨーロッパGPでのデビューを目指していたが、これは間に合わず。同年同じシルバーストンで行なわれたBRDCインターナショナル・トロフィーでデビューすることになった。
 しかしこの時点でも開発が完了していたわけではなく、スタート時にクラッチを繋いだ際にシャフトが故障し、走り出すことができなかった。結局翌1951年の第5戦イギリスGPが、F1デビューとなった。
 このV16エンジンは、スーパーチャージャー付き1.5リッターながら、500bhp(場合によっては600bhp)を発揮したという。しかしながらその構造は実に複雑で、スーパーチャージャーだけで584個ものパーツが使われていたという。それらを正確に機能させるためには、それぞれのパーツに高い精度が求められるのは必然。超高級機械時計のような精巧さだったようだ。ただそれを実現するのは簡単ではなく、当時のメカニックは大いに苦労した。
 前述の通り1951年にF1デビューしたものの、同年限りでアルファロメオがF1から撤退したということもあり、F1へのエントリー数が少なくなることが懸念された。そのため1952年からF1はF2規定で行なわれることになった。V16エンジン搭載のBRMはこの規定には合わなかったため、英国内での非選手権戦などで出走せざるを得なかった。
 F1世界選手権に出られなかったことで、BRMからは多くのサポーターが離れていった。そしてそのマシンの複雑さにより、問題は発生し続けた。ただ次第に好成績を残すことができるようになっていく。
 1953年の5月に行なわれた非選手権戦のアルビGPは、F1マシンとF2マシンが別のヒートで戦うもの。このレースには、フェラーリ375を駆るアルベルト・アスカリ、フェラーリをベースにしたシン・ウォール・スペシャルに乗ったジュゼッペ・ファリーナも参戦。BRMにはファン-マヌエル・ファンジオが乗っていた。
 このレースでファンジオが予選から圧倒的な速さを披露。アスカリに2.9秒の差をつけてポールポジションを獲得した。ただ決勝では、BRM …読み続ける

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