ルクレール、アレジ、アルヌー……F1ドライバー3人が”やっつけた”フェラーリ312B3とは?

 

 モナコで行なわれたヒストリックGPのデモ走行で、現役フェラーリF1ドライバーのシャルル・ルクレールがクラッシュさせてしまったフェラーリ312B3。このマシンは、昨年もジャン・アレジとルネ・アルヌーがヒストリックGPで走らせ、アレジは優勝を争いながらも他車と接触してクラッシュ、アルヌーもフリー走行でクラッシュ……この2年の間に、合計3回ものクラッシュを経験することになってしまった。
 ルクレールが走らせたマシンは、昨年アレジがクラッシュしたモノとは別個体だと言われているが、エンジンカウルのステッカーの配置をみると、どうも同じ車両のように見える。アレジが昨年走らせたマシンのエンジンカウル、アジップのロゴの上には、ヒストリックイベントへの参加経験を示す円形のステッカーが3つ並んでいるが、ルクレールの個体にも同じ位置に3枚のステッカーが存在している。カーナンバーは、アレジは27、ルクレールは12と異なるが……この検証が正しければ、この車両は2年連続でモナコでクラッシュしたということになってしまう。
 さてこの312B3は、フェラーリが1970年に登場させた312Bシリーズの1台。3000ccの12気筒ボクサーエンジン(180度V型12気筒の方が正確とも言える)を搭載していることから、312Bと名付けられた。
 そのうち312B3は1973年に登場。1974年にはクレイ・レガッツォーニとニキ・ラウダがドライブし、レガッツォーニが1勝(ドイツGP)、ラウダが2勝(スペインGPとオランダGP)を挙げた。この年のラウダはフェラーリ加入1年目。映画「RUSH」でもこの年のことが描かれている。
 ラウダはこの年9回ものポールポジションを獲得しつつも、自らのミス、そしてシーズン終盤5戦連続でのリタイアもあり、タイトルには手が届かなかった。しかし翌1975年、312B3の後継機である312Tを手にすると、シーズン5勝を挙げて自身初のタイトルを手にした。
 さてこの312B3には、様々なバージョンが存在した。一番最初に発表されたのはスパッツァネーヴェ(除雪車)というバージョンで、今で言うノーズの両脇には大きな開口部が開けられ、その横にフロントウイングが伸びていた。その様相はF1マシンというよりはまさに除雪車のようで、実戦投入もされなかった。
 1973年に登場した実戦投入最初のバージョンは、フェラーリ初のモノコックシャシー。ただラジエターの位置は二転三転……左右のサイドポンツーン内に置かれたバージョンもあれば、ノーズ先端に置かれたものもあるなど、同一の車両とは思えないほどのバリエーションである。またインダクションポッドも、サイドポンツーン後端部に置かれたり、ロールフープの上に左右ふたつの大きな四角い開口部が設けられるなど、位置や形状も様々だった。
 1974年の312B3は、前年のモノとはさらに別物。シャシーも別に設計されたという。どちらかといえば、後継機の312Tシリーズに似た形状のマシンと言うことができよう。
 特徴的なのは、ロールフープの上に存在する上下に長い(高い)インダクションポッド。ここからエンジンに気流を送った。このインダクションポッドの後部、つまりエンジンカウル後部の形状にはいくつかの変更が加えられた。またフロントウイングのマウント方法についても、前年ほどのバリエーションはなかったと言えよう。
 2年連続でモナコ・ヒストリックGPでクラッシュに巻き込まれてしまったフェラーリ312B3。今回のクラッシュは、ブレーキにトラブルがあったためと言われており、それを裏付ける写真も存在する。しかし今はただマシンが元通りに修復され、そして来年のヒストリックGPでその勇姿をまた目にできることを願うばかりだ。
 
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