平川亮のル・マン優勝は、SFやSGTのドライバーが世界で戦える証明:英国人ジャーナリスト”ジェイミー”の日本レース探訪記

 

 今回のコラムは、3年ぶりのヨーロッパ取材となったル・マン24時間レースの後、時差ボケ気味で書いています。東京に住んでいる今、フランスのサルテ・サーキットに行くのは、イギリスに住んでいた頃と比べるとかなり大変な仕事でした。
 今年からトヨタの世界耐久選手権(WEC)のラインアップに加わった平川亮が、ル・マン24時間レースでトヨタGR010ハイブリッド8号車を駆り、チームメイトのセバスチャン・ブエミ、ブレンドン・ハートレーとともに勝利したことは、日本のモータースポーツファンにとって素晴らしい贈り物になったことでしょう。中嶋一貴の後任として8号車のドライバーに抜擢されて以来、チームメイトやトヨタのスタッフからその仕事ぶりを高く評価されてきた平川の優勝は、彼や他の若い日本人ドライバーに明るい未来があることを示唆したと言えるかもしれません。
 優勝を果たした平川は、プレッシャーからレース前1週間は十分な睡眠が取れなかったと言います。しかし、レースウィークの木曜日に平川と話すと、そんなことは感じさせないほどリラックスし、海外メディアからの質問にも自信に満ちた返答をしていました。
 この日、平川は「スパでは(トラブルで)走れなかったので、実質まだ2戦目ですし、経験値が足りません。まだルーキーという感じですが、自分を信じて、日本でやっていたことをやればいいと思っています」と語っていました。
 トヨタのチームディレクターであるロブ・ルーペンも、平川には好印象を抱いているようで、次のように語っていました。
「彼は(中嶋)一貴と(小林)可夢偉から多くのサポートを受け、多くのコーチングを受けてきた。ただ亮自身、もともと才能があり、言語能力も高く、よくコミュニケーションをとっている」
「スパでは(平川がドライブする前に)8号車がリタイアしたので、彼の走りを評価できず残念だったが、彼はここまで良い仕事をしている」
 平川は8号車のドライバー3人の中で最後にドライブを担当。5時間が経過した頃にハートレーと交代し、ステアリングを握りました。ちょうど同じタイミングで、7号車は小林可夢偉にドライバー交代しています。
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