1995年の彼女と、ケタ違いに速かったライバルたち。タキ井上の記憶に残るF1マシン10選(2)
1994年の日本GPでF1デビューを果たし、1995年には日本人4人目のフルタイムF1ドライバーとなった“タキ井上”こと井上隆智穂。そんなタキ井上の記憶に残ったF1マシン10台を全3回に分けてお届けする。第2回となる今回はタキ井上が1995年に17戦をともに戦い、“当時の彼女”と呼ぶ『フットワークFA16』、そして同年にシリーズタイトルを争った『ベネトンB195』、『ウイリアムズFW17』について語ってもらった。
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■フットワークFA16/ハート830 3.0 V8
1995年にシーズンを通して乗ったF1マシンですが、僕が思うところよくできたクルマだったと思いますよ。でも、いかんせんエンジンは非力でした。「ハートエンジン? それなんですか?」と聞いたくらいですもの。でも、それはほかのクルマに抜かれて行くときに、「こんな非力なエンジン……(汗)」と感じるだけで、それでも同じF1マシンなんだよなーと。当時、まだ僕はクルマのことをぜんぜん分かっていなかったけれど、シャシーデザイナーだったアラン・ジェンキンスはけっこう優秀だったのかなぁと思います。
まあ、F1マシンを見てもF1マシンと分からなかった当時の自分が言うのもなんですが…(汗)。いまから思えば、1994年のシムテックにしろ1995年のフットワークにしろ、けっこう良いクルマだったと思いますよ。ただ、エンジンだけがショボかった。当時、僕はエンジンやギヤボックスに寿命、マイレージの制限があるなんて知らなかった。当時のF1マシンは壊れるのが普通でした。
壊れないのはウイリアムズやベネトンとかのトップチームのクルマです。彼らはテストチームをスペインのバルセロナに常駐させて、マクラーレンも同じようにどこかのサーキットにテストチームを常駐させて、100万キロメートルを走らせちゃう。そういう耐久テストをしていた。だから、いちおう2時間のレースでは壊れない。
もちろん、フェラーリなんかはトップを走っていながら白煙を豪快にパーンと吐いて、「やっぱフェラーリは格好良い!」となるわけ。それが当時のF1じゃないですか。マシンが壊れる、あるいはチームに内紛があって揉める、それがフェラーリの良さですよね。
あ、改めてこのクルマについて思い出したことは、エンジンストールしても自動的にギヤがニュートラルに入らないんですよ。でも、テクニカルレギュレーション上でそれってダメなんですよね。
だから自分の場合、スピンしてエンジンが止まってギヤが動かせない状態になったとき、「僕がギヤを壊したとスチュワードへは説明しろ」とチームから釘を刺されていましたね。酷いハナシですよ。もちろん、まだ車両のデータ管理がきちんとできていなかった時ですから、FIA(国際自動車連盟)も調べる手段は無かったのでしょうね。
■ベネトンB195/ルノーRS7 3.0 V10
■ウイリアムズFW17/ルノーRS7 3.0 V10
自分自身は乗っていませんけれど、ミハエル・シューマッハーが2度目の王座に就いたときのF1マシンとデイモン・ヒルやデイビッド・クルサードが操ったF1マシン。コイツらが後ろから迫ってきたら、僕はステアリングをしっかりと握り直した記憶があります。
抜かれるときにサイドスリップで引っ張られたり、はね飛ばされたりしそうになる。それくらいの速度差があるんですよ。リアビューミラーで後ろをパッと見てベネトンが迫って来たとしたら、まずはシューマッハーなのかジョニー・ハーバートなのかヘルメットで判断します。
ハーバートだったらぜんぜーん気にしません。勝手に抜けよと。でも、シューマッハーだったらどこで抜いていただこうかと脳味噌を使うわけです。できるなら自分がタイヤカスを拾わないストレートで抜いて欲しいけど、どうやら残念ながら次のコーナーになりそうだなと。
それでタイヤカスを5kgくらい拾っちゃうコーナーの外側を自分が走って、シューマッハーさまに抜いていただくわけです。そのとき僕のラップタイムは3秒くらい落ちるわけですよ。しかも、タイヤカスを落としきるまで数周は必要ですから、遅いラップタイムがさらに遅くなるわけです。
シューマッハーにそれだけ気をつかうのは、もしレコードラインを譲らなかったら、彼がコントロールタワーのスチュワードにチクるからです。進路妨害だと言って、僕だけでなくすべてのドライバーの走行をチクるんです。とにかくベネトンにしろウイリアムズにしろ、彼らのクルマはケタ違いに速かった。
(続く)
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