特集|ブラバムの落日とル・マンへ続く再起の道。跡取りが紡ぐ名門の未来とは? F1復帰の可能性を訊く

 

 ブラバムは、F1世界チャンピオンであるジャック・ブラバムとマシンデザイナーのロン・トーラナックによって1962年に創業され、F1のドライバーズタイトルを4度、コンストラクターズタイトルを2度獲得した。多くの功績を世に残したF1界の名門は低迷を経て、1992年ハンガリーGPで最後のF1スタートを迎えた。
 のちに世界チャンピオンとなるデイモン・ヒルが『BT60B』をグリッド後方に並べ、決勝レースでは4周遅れでフィニッシュ。それを期に30年続いたブラバムは終わりを迎えた。
 もちろん、ブラバム家はモータースポーツを続けた。ジャック・ブラバムの息子デビッド・ブラバムは1990年代、ル・マン24時間レースで2勝を挙げ、全日本GT選手権(JGTC)やアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)でもタイトルを獲得。自身のレースキャリアを切り開くことに集中していた。
 ただ彼はその間、父が興したブラバムのことを決して忘れていた訳ではない。実際、彼は1990年シーズンにブラバムのドライバーとしてF1デビューを果たしている。
 その頃のブラバムは、バーニー・エクレストンやゴードン・マレーの手を離れて資金繰りが悪化の一途を辿っており、日本人実業家の中内康児が所有するミドルブリッジの手に渡っていた。バブル景気に湧く日本からはスポンサーが付き、チームに資金をもたらしたが、それらもバブルと共に消えていった。
「あの時から、上手く行かなくなったんだと思う」
 そうデビッドは振り返る。
「ミドルブリッジがブラバムを買収し、私にF1チームのドライバーになれと言われたんだ」
「その前の年、小さなチームながらも素晴らしいマシンがあって、良い結果を残していた。とても良い話だったんだけど、私が加入した時には世界的な金融危機で資金が底をついていたんだ」
「誰かがエンジン代を払ってくれるまでは、次のレースに出れるかどうか分からないという状況にいた。ちょっとした悪夢だったよ」

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