鈴鹿の日本GP、初の”春開催”が決定。しかし、日本でのF1春開催は、来年が初めてではない!:1994年パシフィックGP

 

 2024年のF1日本GPが、春に開催されることになった。決勝レースは4月7日。シーズン第4戦としての開催である。うまくいけばその頃の日本は桜が満開となり、日本GPのために訪れるドライバーや関係者、そして海外からのファンの目を楽しませることになるだろう。
 一方日本のファンからすれば、日本GPは10月に行なわれるのが1987年以来の通例であり、4月開催というのは違和感があるだろう。しかしかつては日本でも、F1が行なわれたことがある。1994年のことだ。
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 1994年の4月17日、岡山県のTI英田サーキットで、F1パシフィックGPが開催された。一国1GPの開催が原則であるF1において、これは例外とも言える事例。当時はイタリア(サンマリノGPとイタリアGP)とスペイン(スペインGPとヨーロッパGP)でも2戦開催されていたが、アジア圏では唯一。しかもパフィシックGPは、日本GPに次ぐアジアでふたつ目のGPとなった。
 この1994年のパシフィックGPでは、ウイリアムズのアイルトン・セナがポールポジションを獲得。しかしスタート直後の1コーナーでクラッシュし、早々にリタイア。ベネトンのミハエル・シューマッハーが、開幕戦ブラジルGPに続き連勝を果たした。
 パシフィックGPは、5年契約でF1開催権を手にし、1994年がその最初のレースだった。しかし1995年を最後に、F1の開催スケジュールから外れることになった。
 TI英田サーキットは、かつてF1を牛耳っていたバーニー・エクレストンが契約を交わしたサーキットの中でも、特異なコースのひとつと言える。しかしそれは、いくつかの理由で非常に重要なグランプリだったと言えよう。
 1995年限りで開催されなくなった理由のひとつは、日本における自動車レースの関心が急激に下がったということだ。また、1999年のマレーシアGPを皮切りに、中国やシンガポール、そして直近の例ではベトナムなど、F1がアジア圏に注目を始めた最初の1例ということでもある。
 TIサーキット英田は、1980年代後半から始まった日本の”バブル期”の最中に建設が始まったサーキット。しかもホンダと、そのエンジンを搭載するマシンを走らせるアイルトン・セナが、F1で大活躍していた時代。日本国民の注目がF1に注がれ、企業や資産家が、惜しみなくモータースポーツに資金を投入していった。事実、複数台のF1マシンには日本企業のロゴが踊り、レイトンハウスやフットワークなど、チーム自体を買収した企業もあった。
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