鈴鹿サーキットがF1日本GPを開催し続ける理由「モビリティ文化の醸成……そのために何ができるかを考えていく」
1987年、鈴鹿サーキットでF1日本GPが初開催された。あれから35年が経ち、途中開催地が富士スピードウェイに移ったり、新型コロナウイルスの感染拡大により開催自体が中止になるなどしたが、今も鈴鹿でのF1が続いている。そのコースレイアウトは、”神が造ったサーキット”とも言われるほど完成度が高く、昨年限りでF1を引退したセバスチャン・ベッテルは、走行中に無線で「ありがとう鈴鹿」と語った。しかも、日本語で。関連ニュース:
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今や日本GP、そして鈴鹿は、F1シーンになくてはならない存在と言える。ただ、開催する側、つまり鈴鹿サーキットの運営会社であるホンダモビリティランドとしては、F1を開催するのは簡単なことではない。親会社であるホンダが、F1に参戦していない時期もあった。また、開催権料は高騰し、さらに世界中の国や地域がF1開催を求めて手を上げている。そんな中で、24戦にまで年間開催数が増えたとしても、開催枠を維持し続けるのは並大抵のことではないはずだ。しかもかつて(2006年)は決勝日だけで16万1000人を誇った観客動員数は、2022年にはチケットが完売しながらも9万4000人となった。チケット収入だけを考えても、F1を開催し続けるのが簡単ではないことは想像に難くない。しかも2024年の日本GPは、これまでの秋開催でなく、4月開催となった。非常に短期間で、しかも馴染みのない時期に開催するための準備を整えるのは、並大抵の苦労ではない。 ではなぜ鈴鹿サーキットはF1日本GPを開催し続けるのか? 6月末にホンダモビリティランドの社長に就任した斎藤毅社長は、F1を開催し続けることは、鈴鹿サーキットとしてのプライドもあると語った。「歴史を振り返ってみても、レーサーの皆さんから『鈴鹿はとても魅力的なサーキット』だと言っていただいています。我々としても、鈴鹿は世界に冠たるサーキットのひとつだというプライドがありますので、それもF1を開催する意義のひとつだと思います」 そう斎藤社長は語る。「それは我々の喜びでもあり、誇りでもあります。この想いは続いていくと思います。ただ、世界中で開催地が競合している状況です。鈴鹿というブランドだけではやっていけない、そういう時代が来る可能性も十分にあります。でもそんな中で鈴鹿サーキットで開催する価値をどのように創出していけるかが、今後我々には大事になってくると思います」 そもそも鈴鹿サーキットは、ホンダの創業者である本田宗一郎が「俺はレースをやるところが欲しい」と発言したことに端を発し、誕生したサーキットである。その翌年遊園地(鈴鹿サーキットパーク)が併設されることになるわけだが、この遊園地の乗り物は来場者自らが”操縦”することに主眼が置かれていた。つまり幼少期から乗り物を自分で操作することで、自動車への興味を持ってもらおうというのが趣旨……そして世界最高峰のレースを開催するレーシングコースや交通教育センターなどと共に”モビリティ文化の醸成”が目指された、他に類を見ないテーマパークと言える。「我々はモビリティ文化の醸成を、企業の方針のひとつに掲げてきた会社です。モビリティに対する若い人たちの興味を引きつけたいという想いは、今も持っています」 そう斎藤社長は言う。「そんな中で我々に何ができるのか、それを(親会社である)ホンダと考えていくことに価値があると思います」「操る喜びとか、チャレンジする喜びを追求していきたいと思っています。自分が乗って楽しいというだけではなく、いろんなことにチャレンジしていくというのは、ホンダとして大切にしてきた”文化”と言えるモノだと思います。それをパーク(遊園地)でどう追求していくかというのが、これからも大事なことです。その精神は、これからもずっと捨てずにやっていきたいです」 そんな遊園地で遊ぶ子供たちのすぐ隣に、F1が開催されるサーキットがある。そのことが、いいサイクルを生むことになると斎藤社長は考えている。 …読み続ける
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