フェラーリF1新代表バスールの人物像:数々の実績を上げてきた生粋のレース屋。優れたチーム運営能力で成功をもたらすか
スクーデリア・フェラーリのチーム代表に、昨年までアルファロメオF1代表を務めていたフレデリック・バスールが就任した。フェラーリ黄金時代を築いたジャン・トッドに続く、フランス人ボスとなる。バスールとは、いったい何者なのだろう。
■妥協なくチームをリードし、ジュニアカテゴリーで成功収める
「モータースポーツ以外、能はないよ。たとえばレストランを開くのは、無理だろうね」と、バスールは愉快そうに語る。
だがフォーミュラ・ルノー、F3ユーロシリーズ、GP2、F2、GP3など、参戦したシングルシーターにおけるすべてのカテゴリーで、バスールは複数のタイトル獲得を達成してきた。その意味では、三ツ星のシェフ級の実績だ。
そしてF1では、まず2016年にルノーF1のチーム代表に就任した。しかし当時マネージングディレクターだったシリル・アビテブールとの間に確執が生じて、その年のうちに辞任。翌年からザウバー(現アルファロメオ)のチーム代表を引き受けた。
「F1チームとF2やF3のマネジメントは、規模も違えば、人間関係も違う」と、バスールは言う。
「とはいえボスがチームの触媒となり、皆の力を最大限に引き出さなければならない点は変わらない。ドライバーやスタッフに対して、彼らの仕事ぶりには一切妥協しない。そのためタフな人というイメージを、与えることもあると思う。しかしファクトリーには、400人もの人が働いている。彼らを路頭に迷わせることはできない」
このやり方でバスールはこれまで、5つのF3ユーロシリーズタイトル、8つのGP3タイトル、5つのGP2およびF2タイトル獲得を達成してきた。F1の世界に入ってからも結果を出しており、2016年、2017年には最下位だったザウバー(現アルファロメオ)は2022年にはついに6位まで躍進した。
「団結した真のチームを作ること。それに尽きると思う。そのためにキャリア初期の私は、狂ったように働いたよ。最初の2年間は、ほぼトランスポーターの中で寝ていたくらいだ」
■「金よりも速さ」。ドライバー発掘&育成に手腕を発揮
バスールのもう一つの特色が、若手ドライバー育成に手腕を発揮したことだ。多数のF1ドライバーがバスールのチームから巣立って行った。去年の現役ドライバーだけでも、ルイス・ハミルトン、バルテリ・ボッタス、セバスチャン・ベッテル、シャルル・ルクレール、エステバン・オコン。他にもニコ・ロズベルグ、ニコ・ヒュルケンベルグ、ロマン・グロージャン、ジュール・ビアンキ、パストール・マルドナド、小林可夢偉、エイドリアン・スーティルと、錚々たる顔ぶれが並ぶ。
「経済的なことを犠牲にしてでも、私はいつも最も速いドライバーを選んできた。そしてドライバーの育成と進歩に、焦点を当ててきた」とバスールは言う。
さらにバスールは、パートナーとの関係も重視する。F3時代にはエンジンを供給するようメルセデスを説得、若手育成の役割も果たした。当時走らせたドライバーのなかにはロズベルグやハミルトンがいる。一方でザウバーでは、ほぼ決まっていたホンダとの契約を打ち切り、フェラーリ、アルファロメオと手を組んだ。
「ザウバーはルノーに比べればはるかに中小企業的で、しかもスイスの山中という立地条件はハンデも大きかった」と、バスール。
「いわば『モータースポーツの谷』だ。そこに外部人材を集めるのは難しい。耐久レースから撤退したアウディやポルシェの頭脳を引きつけるには、長期的な戦略が必要だった。予算を10%増やしたからといって、すぐに1秒速くなるわけではない。そこが就任に際して、株主(ロングボウ・ファイナンス・グループ)に強調し、保証を求めた点だよ」
「私が来た頃のザウバーは、財政的に非常に厳しい時期だった。一方で風洞などのインフラは、非の打ちどころがなかった。あとは組織の再構築だ。設計、風洞、レースチームなどのエンジニアだけでなく、財務、マーケティング、人事、ホスピタリティ。すべての部門を強化する必要があった。外からはわかりにくい、途方もない長期にわたる仕事だったよ」
レース一筋の人生を送ってきたバスール。とはいえレースの華やかさには興味がなく、勝つことだけを追求する。「夜はレストランに行く気がしない。ファクトリーやガレージで、スタッフと食事を取る方がよほど気楽だ」
フェラーリの再建は、バスールのような純粋なレース屋によって、初めて可能になるのかもしれない。
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