ウイリアムズF1の新パートナー、ガルフのモータースポーツ活動歴と『ガルフカラー』誕生の経緯
2月6日、ウイリアムズ・レーシングは2023年シーズンを戦う新マシン『FW45』のカラーリングをお披露目。そのなかで、石油会社ガルフ・オイル・インターナショナルとの複数年にわたるパートナーシップを発表した。ここでは、パウダーブルーとオレンジがトレンドマークのガルフが、1936年から取り組んできたモータースポーツ活動を振り返る。
1901年、アメリカ・ペンシルベニア州で設立されたガルフ。同社がモータースポーツ活動の第一歩を踏み出したのは、1936年にユタ州ボンネビル・ソルトフラッツで最高速記録に挑戦した『モルモン・メテオ』からだった。カーチスの航空機用V12エンジンを搭載した同車は最大出力700bhpを誇り、改良型を投入した1937年には当時の最高記録253km/hをマークした。
ただ、ブルーとオレンジのガルフ・カラーの登場は、ガルフが本格的にモータースポーツへのスポンサー活動を本格化させた1960年代後半まで待たなければならなかった。きっかけは、この時期のガルフ副社長だったグラディ・デイビスと、ジョン・ワイアーと出会いだった。ワイアーはフォードのイギリス法人子会社の資産を引き継いで設立されたレーシングカーコンストラクター『JWオートモーティブ(のちのガルフ・リサーチ・レーシング)』の代表で、同社の主要業務はフォードGT40の製造・販売だった。
デイビスは、ワイアーとともにガルフ・ブランドによるスポーツカーレース参戦を画策。1967年にフォードGT40をベースとしたプロトタイプカー『ミラージュ・フォードM1』をサーキットに持ち込んだことを始まりに、フォードGT40、ポルシェ917といった車両でスポーツカーレースに参戦を続け、1968年、1969年、1975年と3度にわたりル・マン24時間レースを制し、ガルフの名を世界に広げることとなった。またガルフは、1968年から1973年にかけて、Can-Am、インディカー、そしてF1に参戦していたマクラーレンをサポートしている。
なお、当時もガルフのコーポレートカラーはダークブルーとオレンジという配色だった。ただ、「レーシングチームのカラーとしては地味すぎる」という考えから、レース車両のカラーリングは、ブランドの活気をイメージした明るめのパウダーブルーとオレンジとなった。これが、現在も続く“ガルフカラー”が誕生の経緯だ。
そして、ガルフを語る上で欠かせないのが1971年にアメリカで製作された映画『栄光のル・マン』だろう。スティーブ・マックイーン演じる主人公がガルフチームのドライバーとしてガルフ・ポルシェ917のステアリングを握ったことで、多くの視聴者にガルフ・ブランドが知れ渡ることになった。今でもガルフといえば『栄光のル・マン』を思い浮かべる人も少なくはないはずだ。
しかし1975年、ガルフはレース活動を大幅に縮小する。ともに3度ル・マンを制覇したガルフ・リサーチ・レーシングも売却され、その後約20年にわたってサーキットを離れることになった(その間も販売代理店を通じた小規模なサポートは継続されている)。ガルフが本格的にサーキットに戻ってきたのは1994年。その年はクレマー・K8スパイダーでル・マン24時間レースに復帰し、総合6位という結果を残した。
その後、ガルフは1995年〜1997年にかけてマクラーレンとタッグを組み、マクラーレンF1・GTRを走らせた。2001年にはアウディとタッグを組み、アウディR8で同年のELMSヨーロピアン・ル・マン・シリーズでダブルタイトルを獲得。2008年からはアストンマーティン・レーシングとパートナーシップを交わし、GT1、そしてLMP1でガルフカラーのマシンを走らせるなど、多種多様なメーカーやレースプロジェクトとタッグを組んだ。
2020年からはF1に参戦するマクラーレン・レーシングと戦略的パートナーシップ契約を交わし、翌2021年のモナコGPでは1回限りの特別カラーとして、マクラーレンMCL35Mがガルフのパウダーブルーとオレンジを纏った。1戦限りのカラーリングではあったが、多くのファンから好評を得たことは記憶に新しい。
そして2023年、ガルフはウイリアムズ・レーシングのスポンサーに就任。新たなパートナーとともにF1に挑むこととなった。スポーツカーファンを中心に、モータースポーツファンにとって馴染み深いブランドであるガルフが、ウイリアムズとのタッグでどのような活躍を見せるだろうか。グランプリで走るその姿を心待ちにしたい。
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