【伝説のモナコGP】とんでもないレースだ……解説陣も絶句した残り3周の大ドタバタ劇:1982年

 

 いよいよ開幕する、2022年のF1モナコGP。モンテカルロ市街地コースを走るこの伝統のレースでは、数々のドラマや波乱が生まれてきた。その中でも1982年のモナコGPは、残り3周の間であまりにも多くの出来事が起き、レースリーダーが何度も何度も入れ替わるという、歴史上でも稀に見る混乱のレースとなった。

「本当に奇妙なレースだった」
 これは英国オートスポーツ紙のナイジェル・ルーバックが1982年モナコGPのレースレポートに記した言葉だ。まさしくこの混沌のレースに相応しい表現と言える。
 誰もこのレースに勝ちたくないのではないか……まるでそう思ってしまうようなレース展開だった。伝統のモナコGPでの勝利は誰もが切望するものであるはずなのだが……。
 このレースではラスト3周で4回もレースリーダーが変わり、チェッカーフラッグが振られた時点でコース上を走っているマシンはわずか5台だっだ。今回はそんなF1史に残る波乱のレースを振り返っていく。
 F1パドックの面々は、数週間前にジル・ビルヌーブをゾルダーで亡くし、その悲しみが癒えぬままモナコへと到着した。このレースでフェラーリは代役を立てず、ディディエ・ピローニの1台体制でレースに挑んだ。
 この年の予選を席巻していたのは、ターボエンジンを搭載したルノー勢だった。ルノーRE30Bは信頼性こそ低かったもののその速さは驚異的で、16戦中10回のポールポジションを獲得した。このレースでもルネ・アルヌーがPP、アラン・プロストが4番グリッドからスタートすると、序盤からワンツー体制を築いて他を引き離し始めていた。
 しかしトップを独走していたアルヌーは、14周目のプールサイドシケインでコントロールを失いスピン。マシンを降りてしまい、早々に戦線を離脱することとなった。
 代わってプロストがレースリーダーとなり、ブラバムのリカルド・パトレーゼを従えてトップを快走していた。3番手にはピローニがつけていたが、エリオ・デ・アンジェリス(ロータス)を周回遅れにする際に交錯し、フロントセクションを破損。それでも走行を続けることができていたが、プロストとパトレーゼによる優勝争いからは徐々に脱落していった。

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