フェルスタッペン、父ヨスとの絆を語る「僕をF1へと導くためにすべてを捧げてくれた」
1990年代前半、ヨス・フェルスタッペンは国際的なレースの世界で素晴らしい才能の持ち主として高い評価を受けていた。1993年のドイツ・フォーミュラ3選手権でタイトルを獲得すると、複数のF1チームがヨスとの契約を望み、ヨスはベネトンを選んだ。
テストドライバーとしての契約だったが、1994年のシーズン前にレギュラードライバーのJJ.レートが負傷したため、フェルスタッペンが代役となり、ミハエル・シューマッハーのチームメイトとしてF1デビューを果たした。この年、フェルスタッペンは10戦に参戦し、2回の3位入賞がベストリザルトだった。
フェルスタッペンは翌年、ベネトンに残留することができず、、1995年にはジョニー・ハーバートに取って代わられた。その後、フェルスタッペンは競争力の低いマシンでキャリアを過ごし、ミナルディでの2003年シーズン末で、F1から引退した。
当時、彼の息子のマックスは6歳で、すでにカートに夢中だった。ヨスの指導を受けたマックスは才能を表し、17歳でF1デビュー、2021年に自身初のF1タイトルを獲得した。
マックス・フェルスタッペンは、キャリアの初期に父親が自分をサポートしてくれたことへの感謝を生涯忘れることはないと語っている。
「僕たちは多くのことを経験してきた」とマックスは語った。
「父は自分のキャリアが終わると、すべての時間を僕に費やした。父がどれだけのことを僕に捧げてくれたのか説明するのは難しい。おそらく僕は今でもどれだけのことを父がしてくれたのか理解していないからだ。父はすべてを用意してくれた。ゴーカート、エンジン、学校の合間にイタリアまで運転して僕を連れて行き、また戻ること」
「僕たちはたくさんのストーリーを共有している。今でもそういうことを話すよ。父がどれだけのことをしてくれたのかを完全に認識するのは、僕が自分の子どもを持ったときだと思う。そうしてこの関係性を理解し始めるんだ」
「父なしでは、今の自分はあり得ない。父は多くのことを教えてくれて、ごく幼い頃から僕に準備をさせたので、どうしてこんなにも真剣になる必要があるのかと考えたこともあった。もう少し遊んだり、楽しんだりしたいような年齢だったからね。でも父はこの目標に集中していた。父はまず僕を彼よりも優れたドライバーにして、F1に到達させるという目標を立てていた」
フェルスタッペン親子は今も非常に密接な関係を築いている。
「今でも毎日電話をする」とマックスは言う。
「でもゴーカートの時代から四輪レースに進んだ後は、ふたりで過ごす時間は少し減った。一緒にバンで移動していたゴーカート時代を、懐かしく思うこともあるよ……」
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