【日本GP特別コラム/野尻智紀】スクール時代の角田裕毅の思い出。F1鈴鹿で感じた自身のタイトル争いへの大きな収穫
まだまだ日本GP鈴鹿の余韻が残る、今季のF1シーズン。今月末に国内のスーパーフォーミュラでチャンピオン2連覇に挑む、野尻智紀(TEAM MUGEN)にとっても3年ぶりの鈴鹿でのF1開催は大きな刺激になったようだ。現役の国内ドライバーが今年のF1マシン、そして現役F1ドライバーの活躍、さらに同じ日本人ドライバーの角田裕毅をどのように見るのか。オートスポーツwebならではの、日本GPスペシャル企画第2弾をお届けします。
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F1ファンのみなさまこんにちは。今回オートスポーツwebでF1日本GPを分析させていただきます野尻智紀です。普段はスーパーフォーミュラとスーパーGTに参戦していますので、そちらの国内レースの方もよろしくお願いします!
今回、僕は2022年F1日本GPの日曜日にトークショーなどのお仕事をするために来ていて、土曜日の予選も中継で見ました。まずは予選の印象としては、すごく僅差でしたよね。シーズンも終盤になり、チャンピオンシップも大事な局面に入っていて大事な局面になっていると思うので、かなりの緊迫感とともに、面白さをすごく感じた予選でした。
そのなかで気になったドライバーとしては、やはりセバスチャン・ベッテル(アストンマーティン)がQ3まで進出したことです。もともとベッテルはすごく鈴鹿を得意にしているかもしれないですけど、これまでもクルマのパフォーマンスをすべてを引き出したような走りを見せていました。そして今回は、さらにクルマ以上のパフォーマンスも引き出していた印象があります。
決勝レースはグランドスタンド上のパノラマルームから観戦させていただきました。レースを見終わった感想として総括してしまうと、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)が2連覇を達成し、ホンダファンであったり、もちろんレッドブル、マックスファンの方々にとってはすごくいい週末だったなと思いますし、日本人として、日本GPのこの鈴鹿でチャンピオン決定の瞬間を目撃できたことは非常に幸せだったと思います。
レースについて気になった部分をもう少し掘り下げていくと、僕がまず気になったドライバーはフェルナンド・アロンソ(アルピーヌ)でした。彼はF1で一番のベテラン(41歳)ですが、スタート前のフォーメーションラップでウェービングをしっかりしてタイヤのウォーミングアップをしている最中から、ものすごく貪欲すぎるくらいに、数少ないチャンスを逃がさないように準備していることがすごく印象的でした。
今回は雨のレースになったので、走り始めのタイヤの温まりなどはすごく重要になります。雨量によって、そのときのクルマの状況をどれだけ限界まで持っていくことができるかが、レース序盤の肝となると思います。そのあたりも含め、スタート前の走りからアロンソはそういった準備を怠っていない印象を受けました。
その他ではランス・ストロール(アストンマーティン)がスタートのときにピットウォールギリギリの内側を使っていて、その思い切りの良さ、そしてチームメイトであるベッテルも早くピットインを済ませて、かなり大きなジャンプアップをしていたので、そのあたりの『レースを戦っている』という気持ちがすごく感じられたので印象に残っています。
今回のレースはスタート後にカルロス・サインツ(フェラーリ)のクラッシュと雨が強くなったことによって赤旗中断が長い時間ありました。ドライバーとしては、中断中に気持ちを保つことはとても難しいことです。雨がなかなか弱くならなかったので、このままレースが終わってしまうのではないかというような雰囲気が漂っていた瞬間もあったかと思います。ですが、再開が決まってからのドライバーたちの切り替え、そしてチームも同様に、その切り替わった瞬間を初めてグランドスタンド側から目撃しました。そこで思ったことは当たり前かもしれませんが、『本当に全員が全員、プロの集団なんだな』ということです。
あれだけ中断が続いてしまうと、ドライバーだけでなくチームも気持ちを維持させることは簡単ではないと思います。また、レース再開も10分前に通知が行われ、そのタイミングでファンに手を振っていたドライバーや、まだ始まらないだろうと思っていたドライバーもいたと思います。
ですが、そこからの空気の変わり方といいますか、その部分はすごいなと思いました。僕はあまりリラックスしたくないタイプで、僕なら中断中からずっと集中をし続けて、集中力を切らさずに次の再開に備えたいと思うのですが、切り替えという部分がF1ドライバーやチームはすごかった印象です。ファンサービスを行っていてから切り替えという部分は、さすが世界の舞台で戦っているだけあるなという感じがしました。
レースの最終盤ではシャルル・ルクレール(フェラーリ)とセルジオ・ペレス(レッドブル)の2番手争いが見どころになりました。ふたりの走行ラインが結構、異なっていたのですけど、ラインに関しては正直ルクレールの方がベストなラインだったと思います。一方のペレスは追いかける立場なので、同じラインを走っているとダウンフォースを得ることができません。
そういった部分で、鈴鹿というそこまで知らないサーキットで雨のレースになり、ひとりで走ることと、誰かと雨の中で一緒に走ることはまた全然違ってくると思うのですけど、ペレスはルクレールを追い抜くためにいろいろと走行ラインを変えながらレースを戦っていました。
その姿はもう、普段の日本のレースで鈴鹿を知り尽くしている僕たちが普段やっているようなことを、もう次の周には行っています。『前の選手はこのラインを走っているから、僕はこのラインを走ろう』みたいなことを平気でしていて、ペレスの走行ラインは鈴鹿を知り尽くしているかのような選び方だったなと思います。ペレスの走りを見ていて、その部分が印象的でした。
現代のF1ではヘアピンもあまりインにつかずに走ることがセオリーになっていますが、正直どうヘアピンを回るかというところはタイヤにもよりますし、クルマの状況にもよると思うのでなかなか難しいところですけど、スーパーフォーミュラでもインを多少開けて出口重視にすることはセオリーなところもあります。
ただペレスの場合は、あのラインを通らないとなかなか並走できるところまで持っていけないという部分もあったかと思います。むしろ、前を行くルクレールに対して自分の方が速いポイントだったというところもあり、ヘアピンで小回りのラインを選んでいたのだと思います。ヘアピンを小回りで周り、200Rもそのまま並走してスプーンの入り口でインを刺す、ペレスはそんな展開を思い描いていたんじゃないかと思います。そのプレッシャーをペレスがかけ続けた結果、最終ラップの最終シケインでそれが実りました。もう貪欲に狙い続けた結果、という部分に尽きると思います。
逆の立場のルクレールは、ああいった状況ではかなり辛いと思います。やはり順位を奪われるわけにはいかないですし、あれだけのクルマのポテンシャルの差といいますか、ラップタイムの差が目に見えてある状況で、そのなかで、あのポジションを守り切るということはかなり難しいことです。
そのことも、ひとつのレースだけを考えると、ただ大変という程度だと思いますけど、それがチャンピオンシップのことまで考え出すと、やはりもっと大きなものがかかってきます。そういった全体の背景までを見ながら考えていくと、かなり難しい瞬間だったということは容易に想像できます。
また、レース中にはジョージ・ラッセル(メルセデス)など、雨のなかダンロップコーナーで追い抜きをしているドライバーもいました。あのシーンはF1ではクルマによってペースの差が出たりすることが多いと思いますけど、そのあたりで例えばタイヤが終わってしまったクルマと、まだタイヤが生きているクルマ、そういった部分で差があるとダンロップコーナーでのオーバーテイクは成功しやすいです。国内レースでも同じようなトライはするのですが、みんながみんなそこを狙ってくるかもしれないという頭があるので、結構早めに牽制をされて、その結果オーバーテイクが叶わないということがあります。
●ドライバー視点で感じた3年ぶりのF1、日本GP鈴鹿。そして角田裕毅との思い出
今回は3年ぶりに鈴鹿サーキットで開催されたF1日本GPになりました。そのサーキットに実際に来て、レースを見て感じたことは、本当にベストのイベントで、これ以上のレースがあるのかな、と思ったほどです。これは完全に選手目線なのですけど、この雰囲気のなか走れている20人のドライバーたちは、世界一すごい人たちだけど、世界一幸せな人たちなんだろうなということを感じましたね。
そして日本人ドライバーの角田裕毅(アルファタウリ)は、僕にとってはSRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ/現在のホンダレーシングスクール鈴鹿)時代の教え子であり、何度か講師をしました。当時の彼の印象としては、まだまだ子供という感じで、スクールが終わるとサッカーをやっていたりしていて『もうちょっとレースのことを考えろ』みたいな感じはありました(笑)。
ですが、当時から陰では結構レースと真面目に向き合ってたようです。周りからの話を聞くと、『(ルイス)ハミルトンはこうやって走っているから僕もこうやって走ろう』など、いろいろな選手のオンボード映像を見ていたようなので、そこから自分の走りのイメージをどんどんと作り上げていったのではないかなと思います。それに対して、僕たち先輩だったりSRS-Fの先生方がいろいろなアドバイスを付け加えるかたちだったので、表にはあまり見せないけれども、彼がかなりの努力家であることは間違いないと思います。
やはりカートから四輪に上がりたての時期はみんな最初はしっかりとは走れないですし、タイムも出ません。彼の当時の走りの面では、正直SRS-Fのときはまだまだ初めての四輪のクルマを扱えているようなところまではいっていませんでした。特に一発のタイムをなかなか出すことができずに苦労していたかと思いますけど、それでも、ロングランになるとあまり(他の生徒と)変わらないペースで走り続けていたのを覚えています。ロングランではタイムも落ちず、ずっとそのタイムが維持されるので、ユーズドタイヤでの走行になると『いつのまにか角田が上の順位にいるな』ということがすごく多かった印象です。
それこそ一昨年のFIA-F2で他のドライバーのタイヤがタレてしまっているなか、角田だけ好ペースというような状況がありましたし、今のF1でもそうなのかもしれないですけど、タイヤマネジメントがうまいといいますか、もしくはタイヤのグリップが落ちたときに、少ないグリップでもタイヤを感じ取る能力が長けているのか、そういったところが当時からあったのかなと思います。
そんな角田の日本GPは、ピットに入るまではいい順位にいたかなと思います(ポイント圏内を走行していたが残り8周のところでチームの指示でタイヤ交換)。ただ、その後に順位を下げてしまっても、しっかりと前を追っていたと思いますし、この日本GPでファンの応援を手にして、最後までしっかりと強い気持ちを持って走っていたということは当然見て取れました(角田は結局13位)。
こういったレースをきっかけに、どんどんと成長できるようなきっかけにもなると思います。僕は日本人の同じようなレーシングドライバーですけど、角田には本当にフェルスタッペンと同じような、そういった場所にたどり着くようになってほしいですね、今の角田は子どもたちにとって夢の選手だと思います。
そして、今回のF1を見て、本当にドライバーみんなが自分の持つすべてをかけて戦いに挑んでいるということが感じられたことが、選手としては一番の大きな収穫です。当たり前のことかもしれないですけど、今回の鈴鹿のF1を見て、『もっと僕はやれる』という勇気を貰いました。
ドライバー全員が本当に死力を尽くしてといいますか、1周1周、もう自分には何もないくらい全力を出し切るということを、F1に携わる人たちは当たり前のようにやってのける人たちだなということを感じ、スーパーフォーミュラのチャンピオン争いに向けて、すごくいい刺激を貰いました。
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●野尻智紀(のじりともき)
1989年生まれ、茨城県出身。カートで数々の実績を重ねた後、2008年にSRS-Fを首席で卒業。全日本F3、スーパーフォーミュラ、スーパーGTへとステップアップを果たし、昨年スーパーフォーミュラでチャンピオンに輝く。今年も現在ランキングトップでタイトル2連覇に王手。
Twitter:https://twitter.com/Tomoki_Nojiri
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