ジェンソン・バトン、BARホンダとの”契約問題”を回顧「ウイリアムズを選んだのは間違いだった」
一時、2004年にBARを離れてウイリアムズ入りを目指していたジェンソン・バトンは、当時BARに残ったことは正解だったと回顧している。
2023年、マクラーレンからF1デビューを果たしたオスカー・ピアストリは、昨年まではアルピーヌのリザーブドライバーを務めていた。そして当然のごとくアルピーヌは、昨年限りでチームを離脱することとなったフェルナンド・アロンソの後任として、ピアストリをレギュラードライバーとして昇格させることを発表した。2022年の8月のことだ。
しかしピアストリは、アルピーヌとの契約を拒否。この件については、契約の有効性を主張するアルピーヌとの間で論争となった。問題は契約認定委員会(CRB)に持ち込まれ、その裁定の結果、アルピーヌにはピアストリとの有効な契約がないことが認定されることとなり、ピアストリはマクラーレンに加入。ランド・ノリスのチームメイトを務めることになったわけだ。
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こういう契約に関する問題は、F1ではこれが初めてではない。最近では、2004年のジェンソン・バトンとBARホンダを巡る問題が記憶に新しい。
2004年のBARホンダは、バトンと佐藤琢磨のコンビで目覚ましい活躍を披露。ミハエル・シューマッハー擁するフェラーリには太刀打ちできなかったものの、コンストラクターズランキング2位となった。
そんな中でバトンは、翌年からウイリアムズに移籍することを8月に表明したのだった。
バトンは2003年にBARに加入し、ジャック・ビルヌーブとコンビを組んだ。契約が決まった2002年末、BARのチーム代表を務めていたデビッド・リチャーズはバトンとの契約期間について「2年のオプション付きの2年契約だ。しかし、最終的には4年契約になると考えているよ」と語っていた。
つまりオプションを行使しなければ、2004年限りでバトンとBARの契約は切れることになる。そしてチームがそのオプションを行使するかどうかの期限は、7月31日に設定されていた。
ただこのオプション契約を行使する条件の中には、正式なエンジン供給契約を結ぶことが含まれていた。当時BARが使っていたエンジンは当然ホンダだ。ホンダはこの年の11月にチームの株式の45%を購入する予定だったが、バトンのマネジメント側はBARとホンダの間で交わされた合意に満足しておらず、オプションを行使する条件を満たしていないと考えたのだ。そのため、8月になるのを待って、ウイリアムズが「バトン獲得」を大々的に発表したのだった。
前述のとおり、2004年のBARホンダはコンストラクターズランキング2位。ウイリアムズはかつてのチャンピオンチームであるものの、同年のランキングは4位だった。
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同年限りでウイリアムズを離れ、2005年からマクラーレンに加入することになるファン-パブロ・モントーヤも、このバトンの移籍に驚いたひとりだ。
「クレイジーだと思うけど、それは彼が選ぶことだ」
そうモントーヤは語った。
「ウイリアムズは、そのうち好転するだろうけど、今年は完全に的外れだ。おそらく、BARには彼が好まない何かがあるんだろうね。チーム全体が、彼中心に作られているし、BARの結果は改善していた。ドイツでは、10グリッド降格ペナルティを受けたにもかかわらず2位になった。そんな状況で、どうやったら『他のチームに移籍しようぜ』なんて思うか……僕には理解できない」
この問題はBARとバトンの間で対立を引き起こした。BARはバトンを手放すつもりはなく、契約上の権利を主張した。リチャーズ代表は、バトンを手放してその補償を得るよりも、たとえ法的措置を取らざるを得なくなったとしても、最初に結ばれた合意が最後まで尊重されるべきだと主張していた。
リチャーズがそう各種メディアに語る中、バトンはチーム内での雰囲気、そしてリチャーズ代表との関係について、当時、次のように語っていた。
「雰囲気は大丈夫だ。問題ないよ。僕らはみんな、自分たちの仕事をしている」とバトンは言う。
「マスコミでは、あまりにも多くのことが報じられている。これ以上言っても意味がないと思うよ。デビッドはすでに多くのことを発信した。僕の意見では、それは必要なことじゃなかったと思う」
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