言語の壁も乗り越え、日本レース界のトップエンジニアに。ライアン・ディングルが異国の地で過ごした9年間
日本のモータースポーツ界はこれまで、たくさんの外国人ドライバーによって彩られてきた。しかしエンジニアとなると話は別で、海を渡った先の日本でトップエンジニアまで登りつめた外国人はほとんどいない。
その中で異彩を放っていたのが、カナダ人エンジニアのライアン・ディングルだ。彼は2017年からスーパーGT、スーパーフォーミュラという日本のトップカテゴリーでエンジニアとして活躍したが、2022年が彼にとって日本での最後のシーズンとなった。そして2023年は、トヨタのエンジニアとしてWEC(世界耐久選手権)に挑戦する。今回はそんなディングルの日本での歩みにフォーカスを当てる。
ディングルはイギリスのオックスフォード・ブルックス大学を卒業後、2013年の暮れに全日本F3チームの戸田レーシングに加入。ここから彼の日本での旅路が始まった。日本にはそれ以前にワーキングホリデーで訪れており、妻も日本人のあゆみさん。とはいえ当時は今ほど流暢には日本語を話せた訳ではなかったという。
「戸田レーシングと無限の面接を受けたが、僕の日本語が上手くなかったこともあって無限には採用されなかった。妻と話したり、居酒屋で話す分には問題なかったけど、今よりはずっと酷かった」
ディングルは当時をそう振り返る。
「戸田での仕事は完全に日本尽くめの環境で、それが役に立った。本拠地の倉敷は大きな街ではなかったけど、日本での生活について勉強になった」
ディングルは戸田レーシングにデザインエンジニアとして雇用されたが、2014年シーズンが開幕すると、全日本F3のNクラスに参戦する三浦愛のレースエンジニアを担当することになった。三浦とディングルのコンビは開幕ラウンドでクラス優勝を飾り、クラス4位でシーズンを終えた。
その後上京することを強く望んだディングルは、2015年にKCMGに移籍することになる。
「戸田で働いていた友人のフランス人メカニックがスーパーフォーミュラのKCMGに移籍して、彼が土居(隆二/チーム代表)さんを紹介してくれた。KCMGはF3でストゥルアン・ムーアという外国人を走らせていて、彼のエンジニアになった。隣のピットはB-Maxで、関口雄飛もスポット参戦していた」
この時のB-Max、そして関口との繋がりが、のちに大きな意味を持つことになる。
2015年を最後にKCMGがF3のプログラムを終了させると、その後は自動車部品メーカーのマーレで働いていたディングルだが、2016年シーズンの後半にB-Maxがイェ・ホンリーを起用した際、そのエンジニアとして起用された。
「関口と知り合う内に、彼からレーシングプロジェクトバンドウの加入に興味はないかと言われた」
「そして坂東(正敬)さんを紹介してくれた。坂東さんは僕を雇ってくれたけど、お金を稼ぐにはふたつのカテゴリーで働く必要があると言っていた。彼はチームルマンと関係があったので、僕はそこに加入して(スーパーフォーミュラで)フェリックス・ローゼンクヴィストのパフォーマンスエンジニアを務めることになった」
こうして彼は2017年、スーパーGTはバンドウで、スーパーフォーミュラはチームルマンで働くことになり、名実共に“プロ”となった。スーパーフォーミュラでは中村成人エンジニアの下でローゼンクヴィストをサポートする予定であったが、言葉の壁の影響もあり、開幕戦直前にディングルがレースエンジニアを務めることになった。
「マカオで2勝もしている世界クラスのドライバーを担当することはとにかく大変だった」とディングルは回想する。
「最初の頃は特に大変だったが、3戦目にはローゼンクヴィストが(元メルセデスF1の)スティーブ・クラークを呼んでくれて、彼から多くを学ぶことができた」
「そこから3戦連続で表彰台に登れた僕たちは、SUGOで無給油というとんでもない作戦を思いついた。(小林)可夢偉も同じ作戦をとったけど、彼らはグリッド上で決めたのであって、僕たちは1週間も前から決めていたんだ! ただフェリックスは可夢偉をなかなか抜けなかった。うまく抜けていればチャンピオンになっていただろうけど、楽しいチャレンジだった」
この年ディングルは、バンドウからスーパーGTに1戦だけ出場した小林と知り合う。2018年のスーパーフォーミュラではチームルマンで大嶋和也、ピエトロ・フィッティパルディを担当したが、2019年は小林のエンジニアとしてKCMGに復帰。小林は2位2回を記録し、逆転タイトルの可能性も残した状態で最終戦の鈴鹿を迎えた。この時KCMGが見せた奇策が、今でも語り草となっている「ドライレースでのウエットタイヤスタート」だ。
当時のスーパーフォーミュラはドライタイヤの2スペックタイヤ制が導入されており、ペースに劣るハード側のタイヤ(ミディアム)でも一定周回走行する必要があった。しかしスタートでウエットタイヤを履いて1周でピットインしてしまえばその義務が無効となり、残る周回をソフトタイヤで走れるというわけだ。予選順位の低かった小林陣営は、大逆転のためにルールの盲点を突いたギャンブルに出た。
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