フォードのF1活動ヒストリー。最強エンジン『DFV』を生み出したコスワースとの強力タッグ

 

 2026年シーズンよりF1に復帰し、レッドブル・パワートレインズをパートナーにレッドブルとアルファタウリにパワーユニットを供給するフォード。そんなフォードは過去にエンジンサプライヤーとして、メルセデスとフェラーリに次ぐ通算174勝を挙げ、10回のコンストラクターズタイトル、13回のドライバーズタイトルを獲得している。ここでは、1967年から2004年までのフォードのF1活動の歴史を振り返る。

 フォードのF1活動の本格スタートは1967年4月、イギリスのコスワースと共同で2,993cc自然吸気V8エンジン『フォード・コスワースDFV』を開発したことに始まる。DFVエンジンは、もともとコスワースがチーム・ロータスを率いるコーリン・チャップマンの依頼を受け設計・開発を進めていたものだが、資金難に陥ったコスワースにフォードが資金援助をすることでDFVは完成に至った。そのため、同エンジンにはフォードのバッジネームが付けられている。

 フォード・コスワースDFVは、1967年にチーム・ロータスに独占供給され、F1第3戦オランダGPでデビューを飾った。ドライバーはジム・クラークとグラハム・ヒル。このオランダGPではヒルがポールポジションを獲得。決勝では8番グリッドスタートのクラークが優勝と、鮮烈なグランプリデビューを果たしたDFVエンジンは脚光を浴びた。

1967年F1第3戦オランダGPで初登場したフォード・コスワースDFV
1967年F1第3戦オランダGPで初登場したフォード・コスワースDFV

 1967年に通算4勝を飾ったDFVは、翌1968年からロータスへの独占供給が解除となり、ブルース・マクラーレン率いるマクラーレン、ケン・ティレル率いるマトラ・インターナショナルへも供給された。そして、この年はDFVユーザーのロータスがコンストラクターズタイトルを獲得。ロータスのヒルがドライバーズタイトルを獲得したほか、全12戦中11戦でDFVユーザーが勝利を飾り、最強エンジンの座を確立するに至った。

 DFVは1968年から1974年までの7シーズンにわたり連続してドライバーズ&コンストラクターズタイトルを獲得。また、DFVは比較的安価で市販されたことで、小規模なコンストラクターらも続々とDFVを伴ってF1に参戦を果たすことに繋がった。

1976年の『F1世界選手権イン・ジャパン』に参戦したコジマエンジニアリングの『コジマKE007』もDFVを搭載した1台。ドライバーは長谷見昌弘。
1976年の『F1世界選手権イン・ジャパン』に参戦したコジマエンジニアリングの『コジマKE007』もDFVを搭載した1台。ドライバーは長谷見昌弘。

 ただ、1982年にケケ・ロズベルグ(ウイリアムズ・フォード)がドライバーズタイトルを獲得して以降、フォード・コスワースは冬の時代を迎えることになる。フェラーリ、ルノー、TAGポルシェ、BMW、そしてホンダといったライバルエンジンの猛攻に対し、フォード・コスワースはDFVの改良型『DFY』を投入するもDFYは1勝にとどまった。1986年に登場した1.5リッターターボの『GBA』のほか、DFVの発展型エンジン『DFZ』や『DFR』をリリースするが、いずれもかつてのような結果を残すことはできなかった。

 そんななか、1989年に新設計の3.5リッターV8エンジン『HB』をベネトンに供給を開始する。同年の日本GPではトップチェッカーを受けたアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)がシケイン不通過を理由に失格となり、繰り上がりでアレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン)がHBエンジン初優勝を飾った。HBエンジンはその後、1991年のジョーダンに始まり、ロータス、マクラーレンなどに供給されたが、そんなHBエンジンもタイトルを獲得することはできなかった。

 そこで、フォードは1994年にV8エンジン『フォード・コスワース・ZETECR』を新たに開発し、ベネトンに独占供給を開始。ベネトンのシャシー『B194』のポテンシャルの高さも相まって、ミハエル・シューマッハーが初のドライバーズタイトルを獲得する。

ベネトンB194を操るミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)
ベネトンB194を操るミハエル・シューマッハー(ベネトン・フォード)

 その後、フォードはスチュワート・グランプリを買収し、2000年よりコンストラクターとしての活動を開始。当時フォードの傘下だったイギリスの自動車メーカー『ジャガー』の名を冠し、『ジャガー・レーシング』としてワークス体制を構築しF1に挑んだが、4シーズンで3位が2回と、優勝を飾るまでには届かず。2004年末にチームをレッドブルに売却し、フォードはF1という大舞台を離れた。

 なお、フォードおよびジャガー・レーシング撤退後も、コスワースはレッドブル、トロロッソ、ウイリアムズなどプライベーターに向けエンジン供給を続けたが、2005年以降の活動にフォードの関与はなく、コスワース単体でのサプライヤー活動として記録されている。

2000年シーズンからの参戦を控え、ジャガー・レーシングが1999年に公開したショーカー
2000年シーズンからの参戦を控え、ジャガー・レーシングが1999年に公開したショーカー

 上記のとおり、1967年から2004年までの30年以上にわたるフォードのF1活動は、コスワースというエンジンビルダーとの強力なタッグによるものだった。2026年からフォードはレッドブル・パワートレインズをパートナーに、2030年までレッドブルとアルファタウリにF1パワーユニットを供給していくことになる。

 持続可能燃料の使用や電動化が促進される新たなF1パワーユニット規則下で、『レッドブル・フォード』はどのような結果を残すことができるだろうか。DFVを超える新たな“最強エンジン(PU)”が誕生するか否かは、2023年中から開始されるという両社のパワーユニット開発作業から始まるに違いない。

フォード・コスワース最後の優勝は2003年第3戦ブラジルGP。F1参戦8年目のジャンカルロ・フィジケラ(ジョーダン・フォード)にとっては、悲願の初優勝だった
フォード・コスワースの最後の優勝は2003年第3戦ブラジルGP。F1参戦8年目のジャンカルロ・フィジケラ(ジョーダン・フォード)にとっては、悲願の初優勝だった

■フォード・コスワースエンジンユーザーのF1ドライバーズタイトル

1968年:グラハム・ヒル(ロータス)
1969年:ジャッキー・スチュワート(マトラ)
1970年:ヨッヘン・リント(ロータス)
1971年:ジャッキー・スチュワート(ロータス)
1972年:エマーソン・フィッティパルディ(ロータス)
1973年:ジャッキー・スチュワート(ロータス)
1974年:エマーソン・フィッティパルディ(マクラーレン)
1976年:ジェームス・ハント(マクラーレン)
1978年:マリオ・アンドレッティ(ロータス)
1980年:アラン・ジョーンズ(ウイリアムズ)
1981年:ネルソン・ピケ(ブラバム)
1982年:ケケ・ロズベルグ(ウイリアムズ)
1994年:ミハエル・シューマッハー(ベネトン)

■フォード・コスワースエンジンユーザーのコンストラクターズタイトル

1968年:ゴールドリーフ・チーム・ロータス
1969年:マトラ・インターナショナル
1970年:ゴールドリーフ・チーム・ロータス
1971年:エルフ・チーム・ティレル
1972年:ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス
1973年:ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス
1974年:マールボロ・チーム・テキサコ・マクラーレン
1978年:ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス
1980年:アルビラッド・ウイリアムズ・レーシング・チーム
1981年:アルビラッド・ウイリアムズ・レーシング・チーム

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