【F1】神の手

 

トトが語った、「神の手」は正しくない。

マラドーナの神の手は、選手自らが行った行為を審判が誤審(見逃した)ことで発生した。アブダビGPでの出来事では、マックスやレッドブルには責任の一端も存在しない。したがって、「神の手」ではないと言える。

その程度のことは、トトは解って言っているのだと思うが、政治的な駆け引きを行っているのなら、遅い感じがする。

トトが言っている「神の手」は、マシの手なのだろうけど、審判が自ら動いた結果、ボールが身体に当たってゴールが演出されたのなら、それはその場所にボールをけり込んだ者の責任であり、審判は”石”と同じなのだから、責任はない。

ハミルトンを困難な状況に押し込んだ者の存在を無視して、話が進んでいるように思えてしまう。レースディレクターの判断は、すべてに置いて優先されるのなら、今魔の裁定も間違っていなかったことになる。そして、サッカーのように、その状況に陥った状態が悪かったのだとあきらめるのがすっきりはしないが納得ができる。

”たられば”の世界と言っているが、メルセデスは2回以上のタイヤ交換のチャンスを逃している。安全に振ったことで陥ってしまったのだ。

メルセデスの間違いは、レッドブルのマックスが最初にタイヤ交換をしたときに、アンダーカットを警戒して合わせてしまったことだ。これで、黄色で突破したアドバンテージが消えた。ギリギリまで引っ張る必要はないが、ラップタイムの推移をみると、黄色であと5-6周あとに入っても、よかったのではないか?ペレスをピットストップウィンドウ外に押し出してから入ってもよかったのではないかと思える。

メルセデスの敗因はいろいろあると思うが、ボッタスを有効に利用できなかったことだろう。ハミルトンがマックスとペレスとやりあっている時に、ボッタスは角田を抜けないでいた。いろいろ都合があったのだと思うが、ボッタスにスパイシーなPUを与えなかったのが大きなミスだったのだろう。

小さなミスと安全に振り切った戦略の積み重ねが、確率0.1%の勝利をレッドブルに与えてしまったのだろう。

グリーン状態でのfinishは、多分だけどメルセデスからの発起がスタートではないかと思える。ハミルトンなら、1周あればマックスを抜けると考えていたのだろう。実際に、立場が逆になっていたら、ハミルトンは安全に6コーナーでマックスを抜き去っただろう。それに、アブダビはコースが長い。短いコースでの5周と長いコースでの5周では意味が違ってくる。SCが出ていれば、デブリや車を片付けるのには時間は必要ないだろう。